『吉里吉里人』の平和思想
この正月、久しぶりに、井上ひさし『吉里吉里人』を再読しました。平和・農業・医療を3本の柱とする吉里吉里国の国是は、この作品が30年前の刊行であるにもかかわらず、光彩を放っています。
吉里吉里を国家として認めてもらうためには、軍備を持った方が良いと言う意見に対して、指導者の一人であるゴンタザエモン沼袋老人は、以下のように説きます。
「……吉里吉里国民は、はァ、正義と秩序ば基調ど為る国際平和ば誠実に希求す、国権の発動たる戦争ど、武力さ依っかがった威嚇又ァ武力の行使は、はァ、国際紛争ば解決する手段とすては、永久にこれば放棄すっと。この目的ば達っすため、陸海空軍、その他の戦力は、はァ、保持しない(略)。この条文ば日本国憲法から盗んだんだっちゃ(略)。独立の理由は千できかねぇ、万でもきかねぇ、億ほども、夜の空の星コの数ほどもあっこった。だども、皆の衆、その星コの数ほども有る理由の内で、キラキラて、一番星より明るく輝ぐなァ、この第九条す」
「九条の会」呼びかけ人の一人として立ち上がった井上ひさし氏の思想の淵源が、ここにあるのだと、改めて実感しました。最後の戯曲『組曲虐殺』に、「虹にしがみつけ/あとにつづくものを/信じて走れ」と書き付けた氏の願いに応えるために、いま何をすべきかが問われているような気がします。
蛇足ですが、作中に、吉里吉里はアイヌ語の「砂浜」からきたという箇所があります。たしかに、知里真志保『地名アイヌ語小事典』には、「kiri-kiri キリキリ 《擬声語》歩けば キリキリと音を立てる砂浜」とあります。
これほどまでに、この作品はアイヌとかかわりがあるのですが、「ひとつの国家のなかで、少数民族であるがために政府当局からないがしろにされている人たちの住む土地」に吉里吉里国立病院仕様の総合病院建設の計画が明らかにされる最後の場面では、いろんな諸国の民族への言及はあるものの、 アイヌ民族については一切ふれられていません。北海道人としては、いささか腑に落ちない次第です。
2011年 1月5日 会員M