昨2010年のニュースとして報じられた中で、「尖閣列島」に関するものがたいへん注目度が高かったとの記事を目にしました。中国漁船の海上保安庁による拿捕に端を発した尖閣列島の領有権の問題です。中国漁船の振る舞いと日本政府の対応、さらに中国政府の反応、と続き漁船の行動を録画したビデオが海上保安庁よりインターネット動画サイトへの流出、のにぎやかな騒ぎが続きました。
私は新聞やテレビの大々的報道をいささかあっけにとられた思いで、読んだり見たりしていました。わりと単純でわかりやすい問題と判断したので、自分としては2010年の10大ニュースといったもののなかでは、低い評価でした。多くの国民の印象にそんなに大きく残ったのかということには、かえって驚いたものです。
年の終わりごろに起き、新聞、テレビなどの画一的垂れ流し報道があったというものですから、強い印象を国民に残したのはわかりました。しかし、どうとらえたかは吟味する必要のあることです。「目には入ったけれども、脳にとどくまでではない」との人たちもいるのではないでしょうか。
日米韓の結束でとか、日米同盟でとかという、論調で終始しました。菅内閣もそれ一本やりだったようです。北朝鮮による韓国の島への砲撃という休戦協定違反の暴挙あったことも、報道の一面性をさらに進めたように感じています。
それで思ったことは、いろいろな人たちとどう語り合うことが今必要なのだろうかということでした。特別考え深い人間でもない私ですから、複雑で難しいことを立て板に水というようなことはできません。何があるだろうとあれこれ思っていました。
年が明けてふと、「戦争反対」と言う問いかけを今することは、自分にはできることではないかと思うようになりました。
そう言ったら、どう反応するだろうか、いろいろ考えられます。その反応しだいで相手にあった会話を進めることにつなげられるかもしれない、ということなのです。
「今の状況を見ても、私としては戦争反対と声に出す時だとと考えています」が、2011年私の言い方とします。もし憲法九条や平和の問題、九条とあわせ考えていかなくてはならない二十五条に関することでの人との話の際、言ってみる今年のセリフにします。
日米「軍事」同盟肯定派の人、靖国史観を受け入れている人、北朝鮮に1発かますべきと思っている人、平和ボケを反省している人、こういう人たちからそれは違うこれこれでと、言ってもらいたいのです。当然友人知人の中にもいます。また九条の会の運動に個人としてかかわっていると知ると、びっくりしてなぜと聞く友人知人も珍しくありません。ひょっとすると、友人知人の多数派かも。
しかし仲良くつきあってきました。互いに距離をおく関係ではありません。私を九条の会のことで知っても変わりなくがみんなです。それがつきあいというものではないでしょうか。
他方、勇ましくマスコミなどで発言している「著名人」の数々は、さっきあげた類型にあてはまる人がいかに多いかも示しています。自分の発言に責任を持てるのか疑わしいものもけっこうあるのに驚かされますが。
現代国家で「総力戦」などできない、まして日本は一番無理な国との認識が、マスコミに登場している見識も地位もある人(?)からでてこない(でてもきわめて少ない)のはどうしてなのでしょうか。その方々には質問をぶつけてみたい気持にかられます。私でも日本は一番無理という点で、いくつかは理由があげられるのに。まずは「戦争ってたいへんなんですよ」からはじまって。
「軍縮と核兵器廃絶」がやはり21世紀の大道かなと考えています。その気持は九条の会とのかかわりのなかで強くはっきりとしてきました。「良い戦争、悪い戦争」も21世紀には通用しないのでは、ということも。
コケにされている国民のひとりだったと自覚したのはいいかげん年をとってからでした。一面的でバカな男だとはそのずっと前に自覚しましたが。とにかく条件反射人間だったのです。しょうがないからなるべくコケにされない市民になろうと思うようになったのです。ですから今年は「戦争反対」と言ってみることでやってみます。
2011年1月8日 会員UE