映画「カンパニー・メン」の企業論理

先日、「カンパニー・メン」を観てきました。大企業を突然解雇された男の物語です。

 6万人の従業員を抱えるGTXの販売部長で37歳のビー・ウォーカーは、事業再編のリストラにより突然解雇されます。エリートのプライドを捨てきれない彼の再就職は難航します。自慢の愛車を手放し、家を売り払ってようやく彼が就いたのは、義兄の大工仕事のアルバイトでした。

 「会社は社員よりも株主に対して責任がある」という、アメリカ企業の論理の冷徹さ加減が浮き彫りになっている映画です。ナオミ・クラインが『ショック・ドクトリン』で明らかにした「惨事便乗型資本主義」の根底にこの論理があることを考えると、いわゆるグローバル資本主義の本質が見えてくるようです。

 最近、田島一さんが『時の行路』(新日本出版社)を出版しました。大企業を突然解雇された派遣社員の物語です。エリートと派遣の違いはあっても、この二つの作品で描かれている企業の論理は通底しています。違いはただ一つ。派遣社員は労働組合に加入してたたかう道を選択しますが、ビー・ウォーカーはひたすら個人的な解決に全精力を傾けるのです。

 いま世界の注目を集めているのが「ウォール街を占拠せよ」運動です。この集会に招かれたナオミ・クラインは、次のように挨拶しました。

 「昨日、労働者のデモで講演者の一人がこう言いました。『我々はお互いを見つけたのだ』と。この感想は、今まさにここで形成されているものの美しさを捉えています。よりよい世界を望むすべての人々がお互いを見つけるために、大きく開かれた空間を。同様に、どの空間も収容することができないほど大きなアイディアを。私たちは大きな嬉しさに包まれています」

 ビー・ウォーカーに、「お互いを見つける」という視点が少しでもあったなら、この映画の訴求力はもっとあっただろうと思いました。

 2011年11月20日 会員M