岩波書店編集部編『私の「戦後70年談話」』を読む

先日、こまつ座の「父と暮らせば」を観た直後に、本書を手にしました。
竹造が美津江に勇気を出して生きよ、と説得します。
「そいじゃけえ、おまいはわしによっていかされとる。」、「ほいじゃが。あよなむごい別れがまこと何万もあったちゅうことを覚えてもろうために生かされとるんじゃ。」、「人間のかなしかったこと、たのしかったこと、それを伝えるんがおまいの仕事じゃろうが。」
本書には1940(昭和15)年以前生まれの41人の「談話」が収録されています。そこには、「あよなむごい別れ」、「人間のかなしかったこと、たのしかったこと」が赤裸々に語られています。あとへつづく者たちへの「遺言」のような気がしました。
ここで語られている「むごい」事実を、未体験のぼくらが正当に受け継ぎ、次の世代へ正しく伝えていくためには、豊かな想像力が何よりも大切だと思いました。そのためには、「自然への感性を失ってはならない」(池田武邦)ことの重要性を再認識しました。
澤地久枝さんが言及している草野比佐男「村の女は眠れない」の最終連は次のようなものです。
「村の女は眠れない
 夫が遠い飯場にいる女は眠れない
女が眠れない時代は許せない
 許せない時代を許す心情の頽廃はいっそう許せない」
「心情の頽廃」に陥ることなく、自然への感性を研ぎ澄まし、想像力を持って、まやかしの言動に対峙していきたいものです。

2015年7月26日 会員M