再び問いかける長谷川櫂『震災句集』

1月25日、長谷川櫂が『震災句集』を上梓しました。大震災からの12日間を記録した『震災歌集』につづく出版です。「大震災ののち十日あまりをすぎると、短歌は鳴りをひそめ、代わって俳句が生まれはじめた」ものの、俳句のもつ「悠然たる時間の流れ」を句集に反映したかったために、一年近くかかったということです。俳句には季語があり、季節は太陽の運行によって生まれるのだから、「季語には俳句を太陽の運行に結びつけ、宇宙のめぐりのなかに位置づける働きがある」からです。

『句集』の冒頭に2011年新年の句が,末尾に2012年新年の句が配置されています。
2011年新年 「正月の来る道のある渚かな」
2012年新年 「龍(りゅう)の目の動くがごとく去年(こぞ)今年」
「渚」は、「幾万の雛(ひな)わだつみを漂へる」様相に一変し、「生きながら地獄を見たる年の逝く」、「去年」でした。

原発への憤りが、やはり、読む者の胸を打ちます。
 「焼け焦げの原発ならぶ彼岸かな」
 「放射能浴びつつ薔薇の芽は動く」
 「汚染水春の愁ひの八千噸(トン)」
 「原子炉の赤く爛(ただ)れて行く春ぞ」
 「空豆や東京電力罪深し」
 「日本の三月にあり原発忌」

「桐一葉(きりひとは)さてこの国をどうするか」と思念する作者が、「悲しんでばかりもをれず薺(なずな)打つ」と決意を新たにしているところに、明日への希望を見て取ることができました。

2012年2月27日 会員M