ありがとう ベアテさん


ベアテ・シロタ・ゴードンさんが、2012年暮れ89歳で亡くなったと年明けの新聞各紙が報じていました。1月3日東京新聞コラム「筆洗」欄の紹介追悼記事を紹介します。

「父親が反対したら、好きな人と結婚できない。自分から夫に離婚を申し出ることもできない。貧しい農家では、家族のために少女が身を売っているーーー。世界的なピアニストを父に持ち、5歳から15歳まで戦前の日本で暮していた米国人の女性は、家制度に縛られた日本女性の苦しい立場をよく理解していた▼連合国総司令部(GHQ)民生局に設置された憲法草案制定会議の一員として、日本の新憲法の起草にかかわり、草案の翻訳にも通訳として加わったベアテ・シロタ・ゴードンさんである▼当時22歳。唯一の女性スタッフだったゴードンさんが任されたのは、男女平等や社会福祉に関する条項の起草だった。男女の平等は「日本の文化に合わない」と主張する日本側と激論の末、個人の尊厳と両性の平等を定めた24条として結実したことはよく知られている▼晩年にしばしば来日し、憲法制定にかかわった自らの役割を明らかにしてきたゴードンさんが昨年暮れ、ニューヨークの自宅で亡くなった。89歳だった▼2000年5月に参院憲法調査会に招かれ、意見陳述した際、長く沈黙を守った理由を「憲法を改正したい人たちが私の若さと盾にとって改正を進めることを恐れていた」と語っていた▼だれが起草しようとも、24条はすでに普遍的な理念として、私たちの中でしっかりと息づいている」

ひとこと自分のうろおぼえの知識をつけくわえると、東京の下町でも娘は売られる対象にもされた、と言っておきます。農家だけのことではなかったといいたいからです。「家制度」とあるのも、家長制度、あるいは戸主制度としたほうが、筆洗氏の伝えたいこともより具体的だったのではと思いました。

敗戦の結果、明治憲法から現日本国憲法に変わったことの意味、世界の到達レベルに日本が追いついたことでもありました。国民主権、女性も選挙権などなど。誰が言っていることであろうと良いことは良い、そのひとつの証です。故・城山三郎さんが、日本国憲法を高く評価していたこと、通じるものがあります。

そして日本人は、進んだものを認める知性と柔軟性をもった国民であり民族であることも示しました。昭和天皇も、発議の形をとり新憲法施行の現実を受け入れたのですから。現天皇もまさに新時代に対応しての姿勢を貫いているのではないでしょうか。

ベアテさん、ありがとう。日本国民は私を含めてあなたへの感謝の気持ちを忘れないでしょう。また、彼女のことをとりあげたドキュメンタリー映画も日本で作られ各地で上映されてきました。とりわけ各界の女性の理解と感謝と協力の賜物のようです。それも改めて見る機会が増えればと思います。


2013年1月4日 会員UE