3・11以後、地震と津波と原発をどう描くか、作家たちは苦闘しています。このような時こそ、かつて作家たちは「どのように描いたのか」を見つめ直す必要がありそうです。
水上勉が原発を描いたのは、1997年に出版された『故郷』でした。
アメリカ在住の芦田浩二と妻の富美子が、終焉の地を求めて故郷の丹後半島を訪問する物語と、日本人の母を尋ねて来日した若いアメリカ人女性が、丹後の田舎に巻き起こす物語が交差した構成ですが、原発については、「原発銀座」といわれている若狭湾を遠望した芦田夫妻の感慨として語られています。
「たしかに、世界でびっくりするほどの急成長だよな。こういう記録は、今世紀でもめずらしいことかもしれん。戦争でまけた国が、大人も子供もみんな手をあげて降参したはずの国が、アメリカや西ドイツと肩をならべる経済力をもったんだ。このスピードの速さは、無理がなかったとはいえないぜ。どこかで、欠けたところがある。賭には勝ったからいいようなものだけれど、もし逆目に出たら、それは、急転直下成長どころでなく、衰弱だ。ぼくには、せまい若狭に15基も原発があつまるっていうのは、少し無理がある気がするな。そうじゃないか、きみは安全なものなら、いいでしょう、というけれど、誰も完全に安全なものだとはいっていないんだ。日本で起きないが、よそでは起きているんだ。事故を見てて、謙吉は、お母さんの国は不幸だといっている。あいつは、もっとひどいことをいったな」
「人体実験、棄民政策・・・・・・誰かの入れ智恵でそんなことをあたしにいったのよ。世界のどこをみても、せまい村の半島に東洋一の出力の原発が8基も密集している所はないって・・・・・・」
「そう、あいつは何やかやグループで調べているんだ。あいつの原発否定論には、根本的な考えがあって、50年使ったあとの、原子炉が、6百年もくすぶって残るということにあるらしい。ぼくも謙吉の意見には賛成なんだ。きみのいうとおりいくら安全でつとめを終えても、発電炉はぼくらが死んだあと6百年も燃つづけてゆく。燃える棺桶・・・・・・」
「・・・・・・」
「それに、廃棄物をいっぱいだすが、いまのところその捨て場所が国内にはない。どこにもうけとり手がない放射能まじりのゴミを、15基もある原発は将来どこへ捨てるのだろう」
「あとがき」によると、この作品は「昭和62年7月から2、3年間にわたって」全国地方新聞12紙の連載したものですが、連載が終了してから約10年近くを、出版に踏み切らなかったといいます。
エッセイ『若狭憂愁 わが旅Ⅱ』(1986年)があります。その中で、「いまや、神だのみでしか生きられない『原発銀座』の良識世界にぼくは憂慮を感じる」と書き、その思いを『故郷』にぶっつけたのです。連載終了10年後に、あえて単行本として世に問うた心根に、原発に対する強い危機意識を見て取ることができます。
1963年に出版された『饑餓海峡』には、原発の描写が一つもありません。ところが物語の重要な場面が、すべて原発に関係しています。
樽見京一郎は若い頃、大阪から北海道の開拓農家を頼って来道、やがて掘切鉱山の採掘夫をやり、敗戦で鉱山が閉山すると、その荒れ地での開墾に情熱を燃やし、芋作りに活路を見つけます。樽見は堀切の芋を原材料にした産業を舞鶴で興して成功します。この堀切開拓地が北電泊原発のある泊村にありました。
青函連絡船層雲丸の海難事故に紛れて、樽見は青森県の仏ヶ浦に上陸し、乗ってきた船を絶壁の上で燃やします。元函館警察署警部補弓坂吉太郎が、この灰を樽見に見せる場面は圧巻でしたが、仏ヶ浦は建設中の大間原発の地です。
新聞で樽見を見つけた八重が、樽見を尋ねその日の内に殺されますが、樽見が八重の死体を遺棄した場所は、「原発銀座」といわれている若狭湾です。
東野圭吾が『天空の蜂』で、「一度原発を受け入れた土地は、原発なしではやっていけなくなってしまう。悪循環の見本みたいなものです。でもね、だからといって、受け入れた側が愚かだとはいいたくありません。過疎が進む村や町の人間は、それはもう必死なんです。僕が腹をたてるのは、そういう人間の心理につけこむやり方です。国や電力会社は一種のトリックを使っているんです」と怒っていますが、泊―大間―若狭はまさにこうしたトリックの犠牲の地です。
日本海にのぞんだ若狭湾の谷の奥にある乞食谷と呼ばれる土地で生まれた水上が、樽見京一郎と八重の悲劇の舞台を、過疎が進む村に求めたことは納得できるのです。
2012年1月25日 会員M
映画「山本五十六」を見て
正月に映画館に足を運び、東映映画「連合艦隊司令長官 山本五十六(やまもと・いそろく)」を見ました。見ごたえのある映画だったというのが私の感想の第一です。端的に言って「今の目・今の理解から描いた1941年ー1945年の日米戦争と海軍軍事指導者のひとり山本五十六」といえるでしょう。敗戦後に新聞記者が焼跡の東京で自問するラストシーンにもそれが現れていると受け止めました。ていねいに作られた検証に耐える内容の映画といえるのではないでしょうか。
月刊誌文藝春秋1月号に、原作者半藤一利さんが、「日本はどこで間違えたか」への寄稿者のひとりとして、また映画の山本五十六役を演じた主演俳優役所広司氏との対談「山本五十六の『人指し指』」にも対談者として、映画や山本五十六に関連して発言していました。たまたま知ったことになりましたが、見ていない方が映画をうかがい知る意味で、ご紹介します。
「この1ヵ月後10月14日、山本五十六聯合艦隊司令長官が天を仰いで吐き棄てた。
『実に言語道断だ。もうこうなった以上、最善を尽くして奮闘する。そうして長門の艦上で討死するだろう。その間に、東京あたりは3度くらいまる焼けにされて、非常にみじめな目に会うだろう。そうして、結果において近衛首相だのなんかが、気の毒だけれども、国民から八裂きにされるようなことになりゃあせんか』
この予言はすべて当たった。」(「最悪の金曜日」ー1940年9月13日 122ページ)
「役所『時代についての知識があれば、この映画を深く観ることができるでしょうね。』
半藤『そのあたりは原作本「聯合艦隊司令長官 山本五十六」にわかりやすく描いたので、いい手引き書ににはなっていると思います。』
役所『攻略本って感じですね(笑)。』
半藤『読んでから映画館に行ってくれ、と言いたくなります(笑)。そうすれば役所さんの演技が胸に滲みてきますよ、きっと。』」 (山本五十六の「人差指」 275ページ)
考えさせる内容、真剣な問いかけが含まれた映画と私は思いました。描ききれなかった点があるだろうことは確かですが、映画のことですから何が何でも詰め込めるものではないでしょう。監督、シナリオそれぞれも努力した結果が現れていると作品ではないでしょうか。
現日本国憲法、とりわけ九条を評価し大事にしている半藤さん、それは彼自身の長年にわたる探求の結果でもあります。「悲劇の人 山本五十六」とも言える彼に注ぐ目も、情理を尽くしているものを私は感じます。
作品の評価は見る人さまざま、ご覧になってそれぞれの受け止め方をしていただきたいものと思いました。
2012年1月14日 会員UE
月刊誌文藝春秋1月号に、原作者半藤一利さんが、「日本はどこで間違えたか」への寄稿者のひとりとして、また映画の山本五十六役を演じた主演俳優役所広司氏との対談「山本五十六の『人指し指』」にも対談者として、映画や山本五十六に関連して発言していました。たまたま知ったことになりましたが、見ていない方が映画をうかがい知る意味で、ご紹介します。
「この1ヵ月後10月14日、山本五十六聯合艦隊司令長官が天を仰いで吐き棄てた。
『実に言語道断だ。もうこうなった以上、最善を尽くして奮闘する。そうして長門の艦上で討死するだろう。その間に、東京あたりは3度くらいまる焼けにされて、非常にみじめな目に会うだろう。そうして、結果において近衛首相だのなんかが、気の毒だけれども、国民から八裂きにされるようなことになりゃあせんか』
この予言はすべて当たった。」(「最悪の金曜日」ー1940年9月13日 122ページ)
「役所『時代についての知識があれば、この映画を深く観ることができるでしょうね。』
半藤『そのあたりは原作本「聯合艦隊司令長官 山本五十六」にわかりやすく描いたので、いい手引き書ににはなっていると思います。』
役所『攻略本って感じですね(笑)。』
半藤『読んでから映画館に行ってくれ、と言いたくなります(笑)。そうすれば役所さんの演技が胸に滲みてきますよ、きっと。』」 (山本五十六の「人差指」 275ページ)
考えさせる内容、真剣な問いかけが含まれた映画と私は思いました。描ききれなかった点があるだろうことは確かですが、映画のことですから何が何でも詰め込めるものではないでしょう。監督、シナリオそれぞれも努力した結果が現れていると作品ではないでしょうか。
現日本国憲法、とりわけ九条を評価し大事にしている半藤さん、それは彼自身の長年にわたる探求の結果でもあります。「悲劇の人 山本五十六」とも言える彼に注ぐ目も、情理を尽くしているものを私は感じます。
作品の評価は見る人さまざま、ご覧になってそれぞれの受け止め方をしていただきたいものと思いました。
2012年1月14日 会員UE
第4回全国交流集会に参加
11月19日東京日本教育会館で行われた「九条の会第4回全国交流集会」に 世話人、事務局の2名で参加してきました。
3年ぶりの開催ということで雨模様の天気にも関わらず全国から750名の参加で大きな盛り上がりの中 熱気にあふれた経験交流が行われました。
冒頭九条の会呼びかけ人3名のあいさつに続き午前は各地域・分野の「会」からの報告(全体集会)、午後は分散会に分かれての報告・質疑・交流という流れでした。
「福島県九条の会」からの原発事故後の取り組み報告をはじめ いずれもその地域の実状と正面から向き合う中で会員の勇気、創意、工夫をくみつくすというような取り組み内容でまさに“目から鱗”の連続でした。
また呼びかけ人のお一人澤地久枝さんの変わらない艶やかで気迫に満ちたお話に強い説得力を感じました。
昼休み時に北海道の「九条の会」交流の場が設定され15団体が参加しました。各地の取り組みの紹介とともに道内「九条の会」ネットワーク作りの動きが報告されそれに対しより多数の結集めざすいっそうの工夫の必要性が指摘されました。
閉会集会では小森事務局長より集会のまとめとして、今集会の意義、九条の会運動の広がりと到達点、原発問題との関わり等について報告がありましたが、九条の会運動の今後の方向を示したものと受け止めました。
全国の仲間の平和への献身的な熱意に心から敬意を感じるとともに微力ながらそれらに繋がっていく喜びと決意を胸に帰路につきました。
2011年11月22日 事務局
3年ぶりの開催ということで雨模様の天気にも関わらず全国から750名の参加で大きな盛り上がりの中 熱気にあふれた経験交流が行われました。
冒頭九条の会呼びかけ人3名のあいさつに続き午前は各地域・分野の「会」からの報告(全体集会)、午後は分散会に分かれての報告・質疑・交流という流れでした。
「福島県九条の会」からの原発事故後の取り組み報告をはじめ いずれもその地域の実状と正面から向き合う中で会員の勇気、創意、工夫をくみつくすというような取り組み内容でまさに“目から鱗”の連続でした。
また呼びかけ人のお一人澤地久枝さんの変わらない艶やかで気迫に満ちたお話に強い説得力を感じました。
昼休み時に北海道の「九条の会」交流の場が設定され15団体が参加しました。各地の取り組みの紹介とともに道内「九条の会」ネットワーク作りの動きが報告されそれに対しより多数の結集めざすいっそうの工夫の必要性が指摘されました。
閉会集会では小森事務局長より集会のまとめとして、今集会の意義、九条の会運動の広がりと到達点、原発問題との関わり等について報告がありましたが、九条の会運動の今後の方向を示したものと受け止めました。
全国の仲間の平和への献身的な熱意に心から敬意を感じるとともに微力ながらそれらに繋がっていく喜びと決意を胸に帰路につきました。
2011年11月22日 事務局
映画「カンパニー・メン」の企業論理
先日、「カンパニー・メン」を観てきました。大企業を突然解雇された男の物語です。
6万人の従業員を抱えるGTXの販売部長で37歳のビー・ウォーカーは、事業再編のリストラにより突然解雇されます。エリートのプライドを捨てきれない彼の再就職は難航します。自慢の愛車を手放し、家を売り払ってようやく彼が就いたのは、義兄の大工仕事のアルバイトでした。
「会社は社員よりも株主に対して責任がある」という、アメリカ企業の論理の冷徹さ加減が浮き彫りになっている映画です。ナオミ・クラインが『ショック・ドクトリン』で明らかにした「惨事便乗型資本主義」の根底にこの論理があることを考えると、いわゆるグローバル資本主義の本質が見えてくるようです。
最近、田島一さんが『時の行路』(新日本出版社)を出版しました。大企業を突然解雇された派遣社員の物語です。エリートと派遣の違いはあっても、この二つの作品で描かれている企業の論理は通底しています。違いはただ一つ。派遣社員は労働組合に加入してたたかう道を選択しますが、ビー・ウォーカーはひたすら個人的な解決に全精力を傾けるのです。
いま世界の注目を集めているのが「ウォール街を占拠せよ」運動です。この集会に招かれたナオミ・クラインは、次のように挨拶しました。
「昨日、労働者のデモで講演者の一人がこう言いました。『我々はお互いを見つけたのだ』と。この感想は、今まさにここで形成されているものの美しさを捉えています。よりよい世界を望むすべての人々がお互いを見つけるために、大きく開かれた空間を。同様に、どの空間も収容することができないほど大きなアイディアを。私たちは大きな嬉しさに包まれています」
ビー・ウォーカーに、「お互いを見つける」という視点が少しでもあったなら、この映画の訴求力はもっとあっただろうと思いました。
2011年11月20日 会員M
6万人の従業員を抱えるGTXの販売部長で37歳のビー・ウォーカーは、事業再編のリストラにより突然解雇されます。エリートのプライドを捨てきれない彼の再就職は難航します。自慢の愛車を手放し、家を売り払ってようやく彼が就いたのは、義兄の大工仕事のアルバイトでした。
「会社は社員よりも株主に対して責任がある」という、アメリカ企業の論理の冷徹さ加減が浮き彫りになっている映画です。ナオミ・クラインが『ショック・ドクトリン』で明らかにした「惨事便乗型資本主義」の根底にこの論理があることを考えると、いわゆるグローバル資本主義の本質が見えてくるようです。
最近、田島一さんが『時の行路』(新日本出版社)を出版しました。大企業を突然解雇された派遣社員の物語です。エリートと派遣の違いはあっても、この二つの作品で描かれている企業の論理は通底しています。違いはただ一つ。派遣社員は労働組合に加入してたたかう道を選択しますが、ビー・ウォーカーはひたすら個人的な解決に全精力を傾けるのです。
いま世界の注目を集めているのが「ウォール街を占拠せよ」運動です。この集会に招かれたナオミ・クラインは、次のように挨拶しました。
「昨日、労働者のデモで講演者の一人がこう言いました。『我々はお互いを見つけたのだ』と。この感想は、今まさにここで形成されているものの美しさを捉えています。よりよい世界を望むすべての人々がお互いを見つけるために、大きく開かれた空間を。同様に、どの空間も収容することができないほど大きなアイディアを。私たちは大きな嬉しさに包まれています」
ビー・ウォーカーに、「お互いを見つける」という視点が少しでもあったなら、この映画の訴求力はもっとあっただろうと思いました。
2011年11月20日 会員M
小森陽一さんとの懇談
9月3日、九条の会事務局長の小森陽一さんと、懇談する機会がありました。小森さんは、昨年より札幌で加藤周一さんの「日本文学史序説」をテキストに年数回の勉強会をされています。現在東京大学教授の小森さん、北海道大学出身です。日本文学研究者としてのスタートも北大からでした。そのご縁での札幌開催でした。
勉強会の日は札幌におられることは間違いありません。グリーン九条の会としてそのとき懇談機会もてないものかと考え希望してみました。エンレイソウ九条の会にお願いし、それが実現したのです。
グリーン九条の会から私を含め3人、エンレイソウ九条の会から3人、小森さんを囲みました。昼食をとりながら、ゆっくりとした懇談、とくにしぼったテーマでということではなく、いろいろな話題で楽しく有意義な時間をすごせました。小森さんも実に話題豊富な人と理解させられました。
エンレイソウ九条の会、3月に結成された九条の会ですが、私たちは世話人のひとりが、そのひとりと面識があり、結成時から認識がありました。視野の広いすばらしいブログも作られており、私たちのブログにリンクさせていただいています。小森さんともしっかりとご縁を大事にしています。
話は、いろいろはずみました。故加藤周一さんなどの呼びかけ人による九条の会や各地のさまざまな九条の会のこと、小森さんより聞かせていただきました。グリーン九条の会やエンレイソウ九条の会についての小森さんへの紹介説明、それぞれから行いました。さらに大江健三郎さんと中野重治について、小林多喜二研究者ノーマ・フィールドさんについてなど、その場の会話は広がったのです。幅広い話題が花咲いた懇談会でした。
小森さん、打てば響く反応と本当に広い視野と見識で、出席者に応えてくれました。時間の経つのも忘れさせるくらいの機会であったことは間違いありません。そのなかには、ワインについてのなみなみならぬ造詣を示してくれたことも含まれていました。
機会を与えていただいたエンレイソウ九条の会の方々に感謝しています。各地各職域の九条の会、ひとつひとつが個性的なものであること、我々も改めて学びました。それは九条の会はそれぞれの活動とあわせ、多様多彩なつながりも産みだしていくことを示してくれたように思います。
2011年9月19日 会員UE
勉強会の日は札幌におられることは間違いありません。グリーン九条の会としてそのとき懇談機会もてないものかと考え希望してみました。エンレイソウ九条の会にお願いし、それが実現したのです。
グリーン九条の会から私を含め3人、エンレイソウ九条の会から3人、小森さんを囲みました。昼食をとりながら、ゆっくりとした懇談、とくにしぼったテーマでということではなく、いろいろな話題で楽しく有意義な時間をすごせました。小森さんも実に話題豊富な人と理解させられました。
エンレイソウ九条の会、3月に結成された九条の会ですが、私たちは世話人のひとりが、そのひとりと面識があり、結成時から認識がありました。視野の広いすばらしいブログも作られており、私たちのブログにリンクさせていただいています。小森さんともしっかりとご縁を大事にしています。
話は、いろいろはずみました。故加藤周一さんなどの呼びかけ人による九条の会や各地のさまざまな九条の会のこと、小森さんより聞かせていただきました。グリーン九条の会やエンレイソウ九条の会についての小森さんへの紹介説明、それぞれから行いました。さらに大江健三郎さんと中野重治について、小林多喜二研究者ノーマ・フィールドさんについてなど、その場の会話は広がったのです。幅広い話題が花咲いた懇談会でした。
小森さん、打てば響く反応と本当に広い視野と見識で、出席者に応えてくれました。時間の経つのも忘れさせるくらいの機会であったことは間違いありません。そのなかには、ワインについてのなみなみならぬ造詣を示してくれたことも含まれていました。
機会を与えていただいたエンレイソウ九条の会の方々に感謝しています。各地各職域の九条の会、ひとつひとつが個性的なものであること、我々も改めて学びました。それは九条の会はそれぞれの活動とあわせ、多様多彩なつながりも産みだしていくことを示してくれたように思います。
2011年9月19日 会員UE
半藤一利「いま戦争と平和を語る」を読んで
「いま戦争と平和を語る」(半藤一利 井上亮編 日本経済新聞出版社2010年7月刊)をこの8月に読みました。
2008年から2010年にかけて、日本経済新聞社記者の井上亮さんが述べ10数時間のインタビューを行い、それを井上さんが編者でまとめたものです。
半藤さん、高齢なのにたいへん若々しい語り口で、縦横に語っています。現日本国憲法を大事にしていかなくてはならない、9条を大事にしていかなければならないということが、本当に半藤さんの腹に据わっていること、理解しました。歯に衣を着せぬ言い方も、姿勢がはっきりしているからこそ、なお率直にできるのです。広い意味での同志の発見でした。
「国家というのは一つの機軸があった方がいいんです。その機軸をもとにして国家を作っていく。わたくしは『憲法9条を守る会』には直接参加していません。むしろ自分ひとりで『育てる会』を唱えているんです。守るだけでなく、9条の精神を世界にアナウンスするという役割を日本人がもっと果たすべきだと思っています。そのほうが人類のためになる。守るんじゃなくて発信して大きく育てた方がいい。たった一人ですが『育てる会』の提唱者というわけです」(第10章 平和主義こそ日本の機軸 268ページ)
ぜひお読みいただければとおすすめします。幅も中味もある内容、読み手の教養が増すこともまちがいありません(少なくとも私は)。はたしてそうかと考えながらの読書、半藤さんにこづきまわされるのも良い体験になりました。
私が大変注目したのは、仕事の上でも深くつきあった松本清張、司馬遼太郎の両作家に対する評価でした。面白いけれども本当にそうなのか、考えようととくに思ったところです。
そこのところで、井上さんの質問に答えているところがあります。まことに半藤さんらしいところかもしれません。
「(井上)二人の歴史に対する見方で、半藤さんが学ぶところがありましたか。
(半藤)申しわけないが、正直いって、太平洋戦争に関するかぎりはなかったですね。
(井上)二人とも?
(半藤)そう。それは安吾さんとはだいぶ違いました。まあ、昭和史に関する限りはわたくしの知識が上だったんじゃないかと思います。軍人さんなんかの話だって、むしろ清張さんがわたくしに一生懸命聞いていたからね」(第8章 作家たちの歴史観 231ページ)
故人となっている両氏、もし存命であれば、どう反応されるか。ニヤリとしてしまいました。文中の安吾さんとは坂口安吾です。半藤さんは坂口安吾から「堕落論」含め多くの学ぶものがあったことがうかがわれます。
井上さんは、言っています。
「半藤さんは日本近代史の教訓として、何よりも大切なのが『リアリズムと常識』だと言います。見栄えがよく、心地よい響きはあるものの、べっとりと着色料が混じった歴史観とは一線を画す、地に足のついた戦争論、平和論がここで語られていると思います」(はじめに 10ページ)
話は変わりますが、出版されたばかりの半藤一利さんと加藤陽子さんの「昭和史裁判」(文藝春秋)も、読み応えがありました。まな板にあげられた5人に対する半藤節に丁々発止の加藤さん、親子ほど(それ以上か)年の離れたおふたりの対談、興味深く内容が濃いものでした。これもおすすめです。
私には、歴史から学ぶとはなにか、鋭く両書から問われたことになりました。改めて、私なりに学び直しです。
2011年8月20日 会員UE
2008年から2010年にかけて、日本経済新聞社記者の井上亮さんが述べ10数時間のインタビューを行い、それを井上さんが編者でまとめたものです。
半藤さん、高齢なのにたいへん若々しい語り口で、縦横に語っています。現日本国憲法を大事にしていかなくてはならない、9条を大事にしていかなければならないということが、本当に半藤さんの腹に据わっていること、理解しました。歯に衣を着せぬ言い方も、姿勢がはっきりしているからこそ、なお率直にできるのです。広い意味での同志の発見でした。
「国家というのは一つの機軸があった方がいいんです。その機軸をもとにして国家を作っていく。わたくしは『憲法9条を守る会』には直接参加していません。むしろ自分ひとりで『育てる会』を唱えているんです。守るだけでなく、9条の精神を世界にアナウンスするという役割を日本人がもっと果たすべきだと思っています。そのほうが人類のためになる。守るんじゃなくて発信して大きく育てた方がいい。たった一人ですが『育てる会』の提唱者というわけです」(第10章 平和主義こそ日本の機軸 268ページ)
ぜひお読みいただければとおすすめします。幅も中味もある内容、読み手の教養が増すこともまちがいありません(少なくとも私は)。はたしてそうかと考えながらの読書、半藤さんにこづきまわされるのも良い体験になりました。
私が大変注目したのは、仕事の上でも深くつきあった松本清張、司馬遼太郎の両作家に対する評価でした。面白いけれども本当にそうなのか、考えようととくに思ったところです。
そこのところで、井上さんの質問に答えているところがあります。まことに半藤さんらしいところかもしれません。
「(井上)二人の歴史に対する見方で、半藤さんが学ぶところがありましたか。
(半藤)申しわけないが、正直いって、太平洋戦争に関するかぎりはなかったですね。
(井上)二人とも?
(半藤)そう。それは安吾さんとはだいぶ違いました。まあ、昭和史に関する限りはわたくしの知識が上だったんじゃないかと思います。軍人さんなんかの話だって、むしろ清張さんがわたくしに一生懸命聞いていたからね」(第8章 作家たちの歴史観 231ページ)
故人となっている両氏、もし存命であれば、どう反応されるか。ニヤリとしてしまいました。文中の安吾さんとは坂口安吾です。半藤さんは坂口安吾から「堕落論」含め多くの学ぶものがあったことがうかがわれます。
井上さんは、言っています。
「半藤さんは日本近代史の教訓として、何よりも大切なのが『リアリズムと常識』だと言います。見栄えがよく、心地よい響きはあるものの、べっとりと着色料が混じった歴史観とは一線を画す、地に足のついた戦争論、平和論がここで語られていると思います」(はじめに 10ページ)
話は変わりますが、出版されたばかりの半藤一利さんと加藤陽子さんの「昭和史裁判」(文藝春秋)も、読み応えがありました。まな板にあげられた5人に対する半藤節に丁々発止の加藤さん、親子ほど(それ以上か)年の離れたおふたりの対談、興味深く内容が濃いものでした。これもおすすめです。
私には、歴史から学ぶとはなにか、鋭く両書から問われたことになりました。改めて、私なりに学び直しです。
2011年8月20日 会員UE
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