「科学と平和」益川敏英氏講演会


7月14日会場の共済ホールに約800名の方々を集め益川敏英氏の講演会が行われました。

本講演会は医療九条の会・北海道、たかさき法律事務所九条の会、エンレイソウ九条の会、当グリーン九条の会4団体の共催、また札幌市、市教育委員会の後援、更には九条の会・北大、北海学園大九条の会の協賛をいただいて開催されました。

このように多数の組織と個人の力が計画・準備に結集され、その思いをこの日800名もの方々にお伝えできたことを大変嬉しく思っています。

演題は「科学と平和」 ユーモアに富んだ益川先生のお話は大変わかりやすく、科学と科学教育及び科学者の今後のあり方、進むべき方向に多くの示唆を与えるものでした。

またプログラム2部の特別対談では事務局として内容の事前準備全く無しで小森陽一先生の学識、見識と卓越した話術におすがりする(丸投げ)形で本番に突入してしまいましが、30分そこそこの時間配分にもかかわらず益川先生の科学に対する姿勢、とらえ方、平和への思いをそのお人柄と合わせて明解に浮き彫りにしていただき、更には小森先生ご自身のの思いも充分に重ね合わせていくという見事な対談となりました。

当グリーン九条の会にとって本講演会は第5回例会となる節目の催物でした。他団体との繋がりを少しでも広めてゆきたいと日頃願ってところですが、幸運にも今回、先進的な活動を日常的に続けておられる団体と一緒にこのような立派な講演会に取り組むことができ、感謝の気持ちでいっぱいです。そして今回の経験を「九条の会」運動の更なる広がりに少しでも繋げていければと思いを新たにしているところです。

2012・7・18 事務局

「まっとうな」労働と憲法12条


沢村 凜『ディーセント ワーク ガーディアン』(双葉社)は、憲法記念日にふさわしい作品です。『小説推理』2011年6月号~11月号に連載された短編集で、主人公三村全は東京から離れた架空都市黒鹿市の労働基準監督署監督官。労働現場を舞台に起こる事件を、友人の刑事と協力し合いながら解決していきます。

「ディーセント ワーク」とは、ILO(国際労働機関)が掲げる21世紀の目標のことで、「まっとうな労働」を意味しています。

「生活費に満たないような賃金ではないこと。働きつづけると病気になるような作業環境ではないこと。死んだり怪我を負ったりの危険に満ちていないこと。心身の健康を損なうほどの長時間労働でないこと。人格が否定される職場ではないこと。耐え難いストレスが生じる仕事ではないこと、エトセトラ」が、本書が指摘している「ディーセント ワーク」の内実です。

第1話から第5話までの事件が、転落事故、風呂敷残業、労災隠し、低賃金、安全措置無効化など、中小零細企業から大企業にいたる日常の労働現場で起きているだけに、働いている人にとっては、架空の絵空事ではなく、自分のこととして考えさせられてしまいます。

第6話「明日への光景」は書き下ろしで、この作品集の一番の魅力になっています。

かつて行政指導をした経営者からの逆恨みで窮地に立たされた主人公が、なんとか持ちこたえて反撃に転じるストリーですが、厚生労働大臣を巻き込んだ陰謀ですから、生半可なことでは打開できません。

失意の主人公が反撃にでるきっかけが、歩道橋で目にした「9条」のビラでした。憲法12条に気付くのです。

「12条 この憲法が国民に保証する自由および権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」

三村はこれまで多くの労働者が、「過労死認定ラインを超える恒常的な時間外労働。必要な安全措置がされていない場所での危険な作業。長大な賃金不払残業。劣悪な作業環境の放置」など、労働基準法違反に黙って耐えている姿を見てきました。その都度、彼は「頼むから、少しは自分の権利を自分で守ろうとしてくれ」と、何度も心の中で叫んできたことを思い出します。

憲法12条の精神がまさに「自由および権利」を守るためにたたかうことなのだと自覚した三村は、同僚たちに気遣って、自分の権利を守るたたかいを放棄しようとしていた誤りを払拭して、歩を前へ進めるのです。

 2012・5・6会員M

北朝鮮のミサイル実験失敗

4月13日朝、北朝鮮(朝鮮人民民主主義国)が、かねてより予告していた「人工衛星打ち上げ」のミサイルを打ち上げました。結果は失敗、あっというまに日本海の藻屑になったようです。私の予想していた選択肢の範囲内でした。お笑いの一幕でしかありませんでした。

日本のマスコミ報道は連日の大騒ぎ、内容は一面的でやたら危機をあおるすさまじいものでした。それについての独自の分析視点がなく、とにかく軍事目的の弾道ミサイル実験の見なし一色、それに対応する野田内閣・防衛省の「迎撃対応」の垂れ流し報道でしかありませんでした。

国際的には「その時の現象に反応し、本質を見ない」(むのたけじ)といわれる日本人の民族性だそうです。マスコミの一面性も根がもっと深いのかもしれません。今回の「空騒ぎ」に私もそれはあたっているのかもしれないと考えるようになりました。

いろいろなことが起こるわけですから、わからないこと予想外のこともあります。わかっていたつもりのことでも、一知半解であったと認識することも珍しくありません。私にとってもふりかえると自戒反省の数々です。

自分の判断や意見がどうか、改めて見つめなおすことが、私にとっても必要と思いました。「空騒ぎ」をきちんと見ている意見、それは意識していると飛込んでくるものだとの実感を得たのも、今回の収穫(?)となりました。いろいろご指導も受ける必要もあります。

きちんと理解するためには、知らないほど「学ぶ」ことから入らなくてはならないようです。元外交官天木直人さんは、ブログで発言されていますが、目からウロコの指摘さまざまに受け取ってきました。「北朝鮮ミサイル問題」でも、取り付くのにわかりやすく入り口を示唆され、たいへん落ち着いて事態を見守ることができました。

昔見た米映画「ウエストサイドストーリー」のなかで、イタリア系の若者たちが「クール」という歌をうたうシーンがありました。「クール、クール、クレージーボーイ」という歌詞が印象に残っています。映画を見ていた私にも、頭を冷やして事態にのぞもうという気持ちが伝わりました。すっかり意識の下に沈んでいた記憶でしたが、生々しくよみがえりました。やはり名画なのでしょう。

2012年4月13日 会員UE

再び問いかける長谷川櫂『震災句集』

1月25日、長谷川櫂が『震災句集』を上梓しました。大震災からの12日間を記録した『震災歌集』につづく出版です。「大震災ののち十日あまりをすぎると、短歌は鳴りをひそめ、代わって俳句が生まれはじめた」ものの、俳句のもつ「悠然たる時間の流れ」を句集に反映したかったために、一年近くかかったということです。俳句には季語があり、季節は太陽の運行によって生まれるのだから、「季語には俳句を太陽の運行に結びつけ、宇宙のめぐりのなかに位置づける働きがある」からです。

『句集』の冒頭に2011年新年の句が,末尾に2012年新年の句が配置されています。
2011年新年 「正月の来る道のある渚かな」
2012年新年 「龍(りゅう)の目の動くがごとく去年(こぞ)今年」
「渚」は、「幾万の雛(ひな)わだつみを漂へる」様相に一変し、「生きながら地獄を見たる年の逝く」、「去年」でした。

原発への憤りが、やはり、読む者の胸を打ちます。
 「焼け焦げの原発ならぶ彼岸かな」
 「放射能浴びつつ薔薇の芽は動く」
 「汚染水春の愁ひの八千噸(トン)」
 「原子炉の赤く爛(ただ)れて行く春ぞ」
 「空豆や東京電力罪深し」
 「日本の三月にあり原発忌」

「桐一葉(きりひとは)さてこの国をどうするか」と思念する作者が、「悲しんでばかりもをれず薺(なずな)打つ」と決意を新たにしているところに、明日への希望を見て取ることができました。

2012年2月27日 会員M

北海道内九条の会のネットワーク志向の動きに関して

昨年来、北海道内の個別九条の会のなかに、ネットワークをつくろうつくりたいとの動きがあります。私たちも伝えられ知ることになりました。

ネットワークの動きについて、私たちが現在考えることはつぎのとおりです。

9名のよびかけ人で2004年に発足した「九条の会」(東京)が出した「九条の会アピール」、それに呼応して、全国で個別の九条の会が結成されてきました。原点となった「九条の会」は、全国交流会を開催するなど、つなぎ役を果たしています。全国交流会への参加体験からして、つながりあいについては、お互いの会の活動を認め合い尊重しあう気持ちで進めていくことを大事にしている、と私たちは受け止めてきました。

それぞれの九条の会は、日本国憲法第九条を大切と思い、それを軽視することに対してはそうではないのではと声をあげてきました。会の特性と特徴に応じてです。また、個別の九条の会は、それぞれ個性溢れる集団であるということも知ってきました。「九条の会運動」は、これまでにない新しさを持った活動らしいこと、、実践の中で活動スタイルも発展していくものらしいことを、我々もようやく理解するようになったところです。我々は、惰性の活動になることを自戒し、個性をいっそう磨くことを求められているとの気持ちにいたっています。

北海道でも九条の会が多数存在し、自分たちの活動のところも、連携する形をとりながらのところも、さまざまな活動を続けています。私たちグリーン九条の会としても2008年の発足以来そのことの認識を広げてきました。つながりができた会もあり、おかげもこうむっています。心かよいあう交流は私たちにとって力強い支援です。

グリーン九条の会は、これからも、「九条の会アピールに賛同する」「経済の視点から平和を考える」の立場で、活動をしていきます。また、他の個別九条の会と、相互尊重の立場で、趣旨が一致した取組みは応分に協力しあうことも、変わらずやっていくつもりです。今交流ある会、まだの会、どれもがかけがえのない仲間と思っています。つながりも深めあいましょう。そのなかでネットワーク的なものへの私たちの考えを整理していけるだろうと考えています。北海道内個別九条の会の皆様、我々の会のそういう気持ちを気長に見守っていただきたいと思っております。よろしくお願いします。

                             2012年2月   グリーン九条の会世話人一同

水上勉と原発

3・11以後、地震と津波と原発をどう描くか、作家たちは苦闘しています。このような時こそ、かつて作家たちは「どのように描いたのか」を見つめ直す必要がありそうです。
水上勉が原発を描いたのは、1997年に出版された『故郷』でした。
アメリカ在住の芦田浩二と妻の富美子が、終焉の地を求めて故郷の丹後半島を訪問する物語と、日本人の母を尋ねて来日した若いアメリカ人女性が、丹後の田舎に巻き起こす物語が交差した構成ですが、原発については、「原発銀座」といわれている若狭湾を遠望した芦田夫妻の感慨として語られています。

「たしかに、世界でびっくりするほどの急成長だよな。こういう記録は、今世紀でもめずらしいことかもしれん。戦争でまけた国が、大人も子供もみんな手をあげて降参したはずの国が、アメリカや西ドイツと肩をならべる経済力をもったんだ。このスピードの速さは、無理がなかったとはいえないぜ。どこかで、欠けたところがある。賭には勝ったからいいようなものだけれど、もし逆目に出たら、それは、急転直下成長どころでなく、衰弱だ。ぼくには、せまい若狭に15基も原発があつまるっていうのは、少し無理がある気がするな。そうじゃないか、きみは安全なものなら、いいでしょう、というけれど、誰も完全に安全なものだとはいっていないんだ。日本で起きないが、よそでは起きているんだ。事故を見てて、謙吉は、お母さんの国は不幸だといっている。あいつは、もっとひどいことをいったな」
「人体実験、棄民政策・・・・・・誰かの入れ智恵でそんなことをあたしにいったのよ。世界のどこをみても、せまい村の半島に東洋一の出力の原発が8基も密集している所はないって・・・・・・」
「そう、あいつは何やかやグループで調べているんだ。あいつの原発否定論には、根本的な考えがあって、50年使ったあとの、原子炉が、6百年もくすぶって残るということにあるらしい。ぼくも謙吉の意見には賛成なんだ。きみのいうとおりいくら安全でつとめを終えても、発電炉はぼくらが死んだあと6百年も燃つづけてゆく。燃える棺桶・・・・・・」
「・・・・・・」
「それに、廃棄物をいっぱいだすが、いまのところその捨て場所が国内にはない。どこにもうけとり手がない放射能まじりのゴミを、15基もある原発は将来どこへ捨てるのだろう」

「あとがき」によると、この作品は「昭和62年7月から2、3年間にわたって」全国地方新聞12紙の連載したものですが、連載が終了してから約10年近くを、出版に踏み切らなかったといいます。
エッセイ『若狭憂愁 わが旅Ⅱ』(1986年)があります。その中で、「いまや、神だのみでしか生きられない『原発銀座』の良識世界にぼくは憂慮を感じる」と書き、その思いを『故郷』にぶっつけたのです。連載終了10年後に、あえて単行本として世に問うた心根に、原発に対する強い危機意識を見て取ることができます。
1963年に出版された『饑餓海峡』には、原発の描写が一つもありません。ところが物語の重要な場面が、すべて原発に関係しています。
樽見京一郎は若い頃、大阪から北海道の開拓農家を頼って来道、やがて掘切鉱山の採掘夫をやり、敗戦で鉱山が閉山すると、その荒れ地での開墾に情熱を燃やし、芋作りに活路を見つけます。樽見は堀切の芋を原材料にした産業を舞鶴で興して成功します。この堀切開拓地が北電泊原発のある泊村にありました。
青函連絡船層雲丸の海難事故に紛れて、樽見は青森県の仏ヶ浦に上陸し、乗ってきた船を絶壁の上で燃やします。元函館警察署警部補弓坂吉太郎が、この灰を樽見に見せる場面は圧巻でしたが、仏ヶ浦は建設中の大間原発の地です。
新聞で樽見を見つけた八重が、樽見を尋ねその日の内に殺されますが、樽見が八重の死体を遺棄した場所は、「原発銀座」といわれている若狭湾です。
東野圭吾が『天空の蜂』で、「一度原発を受け入れた土地は、原発なしではやっていけなくなってしまう。悪循環の見本みたいなものです。でもね、だからといって、受け入れた側が愚かだとはいいたくありません。過疎が進む村や町の人間は、それはもう必死なんです。僕が腹をたてるのは、そういう人間の心理につけこむやり方です。国や電力会社は一種のトリックを使っているんです」と怒っていますが、泊―大間―若狭はまさにこうしたトリックの犠牲の地です。
日本海にのぞんだ若狭湾の谷の奥にある乞食谷と呼ばれる土地で生まれた水上が、樽見京一郎と八重の悲劇の舞台を、過疎が進む村に求めたことは納得できるのです。

2012年1月25日 会員M

映画「山本五十六」を見て

正月に映画館に足を運び、東映映画「連合艦隊司令長官 山本五十六(やまもと・いそろく)」を見ました。見ごたえのある映画だったというのが私の感想の第一です。端的に言って「今の目・今の理解から描いた1941年ー1945年の日米戦争と海軍軍事指導者のひとり山本五十六」といえるでしょう。敗戦後に新聞記者が焼跡の東京で自問するラストシーンにもそれが現れていると受け止めました。ていねいに作られた検証に耐える内容の映画といえるのではないでしょうか。

月刊誌文藝春秋1月号に、原作者半藤一利さんが、「日本はどこで間違えたか」への寄稿者のひとりとして、また映画の山本五十六役を演じた主演俳優役所広司氏との対談「山本五十六の『人指し指』」にも対談者として、映画や山本五十六に関連して発言していました。たまたま知ったことになりましたが、見ていない方が映画をうかがい知る意味で、ご紹介します。

「この1ヵ月後10月14日、山本五十六聯合艦隊司令長官が天を仰いで吐き棄てた。

『実に言語道断だ。もうこうなった以上、最善を尽くして奮闘する。そうして長門の艦上で討死するだろう。その間に、東京あたりは3度くらいまる焼けにされて、非常にみじめな目に会うだろう。そうして、結果において近衛首相だのなんかが、気の毒だけれども、国民から八裂きにされるようなことになりゃあせんか』

この予言はすべて当たった。」(「最悪の金曜日」ー1940年9月13日 122ページ)

「役所『時代についての知識があれば、この映画を深く観ることができるでしょうね。』

半藤『そのあたりは原作本「聯合艦隊司令長官 山本五十六」にわかりやすく描いたので、いい手引き書ににはなっていると思います。』

役所『攻略本って感じですね(笑)。』

半藤『読んでから映画館に行ってくれ、と言いたくなります(笑)。そうすれば役所さんの演技が胸に滲みてきますよ、きっと。』」 (山本五十六の「人差指」 275ページ)

考えさせる内容、真剣な問いかけが含まれた映画と私は思いました。描ききれなかった点があるだろうことは確かですが、映画のことですから何が何でも詰め込めるものではないでしょう。監督、シナリオそれぞれも努力した結果が現れていると作品ではないでしょうか。

現日本国憲法、とりわけ九条を評価し大事にしている半藤さん、それは彼自身の長年にわたる探求の結果でもあります。「悲劇の人 山本五十六」とも言える彼に注ぐ目も、情理を尽くしているものを私は感じます。

作品の評価は見る人さまざま、ご覧になってそれぞれの受け止め方をしていただきたいものと思いました。

2012年1月14日 会員UE