「脱・同盟時代」を読んで

7月にかもがわ出版より「脱・同盟時代 総理官邸でイラクの自衛隊を統括した男の自省と対話」が刊行されました。


「自省と対話」を行った男とは柳澤協二氏。本による略歴は次のようになっています。


「東京大学法学部卒。防衛庁に入庁し、同運用局長、防衛研究所長などを経て、2004年から2009年まで内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当)として、イラクの自衛隊を最初の派遣から最後の撤収まで統括。著書に『抑止力』を問う。」 1947年生まれです。


「だが、人が、自発的な選択にせよ強制された不自由や組織から開放されたとき、別の義務感・達成感やアイデンティティーを持たなければ、知的人格が失われていく、多くの官僚仲間が、退職と同時に人生の目標を喪失していく姿を見てきた私にとって、これこそ、退職後の最大の課題であった。私は、それを『イラク戦争への日本のかかわりを検証すること』に求めた。」(まえがき)


「私が『同盟の相対化』というキー・ワードに辿りつくには、退職して2年ほどかかったわけだが、対談のなかでは、表現は様々でも、多くの方がそれを当然の前提として発想しておられる。別の研究会でも、けっこう頻繁に使われている。それを前提としていないのは、日本政府だけだということに気がついた。
(中略)
今回の対談で示された数々の視点は、私のライフワークとしてのイラク検証作業に取り組んでいくうえで、大きな励みになるものと確信している。」(あとがき)


対談者そしてテーマは多彩です。

3月1日「日米同盟を相対化する道筋」(寺島実郎)

3月22日「仏独と日本の外交はなぜ違うのか」(大野博人、古山順一)

4月7日「市民運動との対話が生む可能性(池田理代子、志葉玲)

4月27日「イラク後の安全保障政策を考える」(植木(川勝)千可子)


柳澤氏と幅広い対談者との間に、どのように対話がなされたかは本書をお読みいただくのが一番です。


6月25日天木直人さんの講演例会「さらば日米同盟」を開催しました。そこで示された天木さんの意見と「脱・同盟時代」の柳澤氏と対話者達の考え意見、通底するものがたくさんあることに驚きました。


「さらば外務省」を世に問うた天木氏、当時は突出した点だったかもしれません。しかし防衛官僚であった柳澤氏もまた、今天木氏とも共有可能な見解に達しているのです。また幅広い対談者も大きく言えば一致していると言えるのです。いろいろな点で違いがあっても絶対的な壁や垣根はないようです。面としての広がりが急速であることを思うことになりました。、


「イラク戦争が『無駄な戦争』であったことは、今日では国際的に定着した評価になっている」(まえがき)との考えを受け入れるのに、柳澤氏はきちんと向き合われたようです。


かもがわ出版は以前に「我、自衛隊を愛す 故に、憲法九条を守る」を出版しています。箕輪登氏小池清彦氏などの発言集です。柳澤氏の著作出版にもつながることになったのかもしれません。


天木氏、柳澤氏の懸念心配が、的を射ていたとされる公的資料が、日本でも報じれらました。柳澤氏の対談終了後です。朝日新聞がウィキリークスの米政府公電公開資料から、日本政府に関するものを入手し、5月4日同紙で内容報道をはじめました。それに刺激されてか、他メディアの追いかけ報道も散見されます。日本の外交、まったくの米国いいなりの態度を、国民に隠して続けてきたのです。なれあいの茶番劇を演じ続けてきていたのです。被害者は日本であり、日本国民であり、とりわけ沖縄県民です。


日本政府は論評に値せずという態度、まことに情けないというしかありません。それを真正面から取り上げない大手メディア(朝日新聞も含めては残念ですが)も、ジャーナリズムとは何かが問われているのではないでしょうか。


「さらば日米同盟」「脱・同盟時代」、冷静な目で見た誠実な探求ではないでしょうか。


2011年7月23日 会員UE

『下町ロケット』直木賞のことなど

池井戸 潤『下町ロケット』が直木賞を受賞しました。

実験衛星打ち上げロケットに搭載するエンジンの開発に9年もの歳月を費やしてきた主人公は、実験失敗の責任を取って研究所を去り、今は東京の下町で家業の製作所を経営しています。かつて研究者として追い続けた夢を彼は棄てることが出来ません。大企業や銀行からの圧力や従業員との軋轢を一身で受け止めながら、ついに、ロケットエンジンのキーテクノロジーであるバルブシステムを開発、種子島宇宙センターでの打ち上げに成功します。

「朝日新聞」(7月18日付)に寄せられた作者の文章によると、自動車会社のリコール隠しをモチーフに書いた『空飛ぶタイや』が、社会的な問題意識に根ざした最初の企業小説とのことです。その後、鉄鋼の談合を描いた『鉄の骨』がありますが、これらの作品は、モチーフとの関わりからか、どちらかというと、企業悪に対する糾弾の色調が濃厚です。今度の『下町ロケット』では、そうした傾向が後景に退き、働く人々が理念を共有したときに生み出される創造性や、モノ作りに執念を燃やす喜びなど、この国の良き伝統が多面的に描かれていて好感をもつことができました。

「現代におけるあらゆる事象は、他のいかなる時代にもまして、一事象をそれなりのものとして限定して考えることを極めて困難なものとする。一事象は無限に核分裂して縦にも横にも連鎖反応を起こし、終局的には歴史、ないしは現代史と称される『全体』の場に収斂される」(堀田善衛「母なる思想」)。
文学を上記の内容でとらえ返した時、芥川賞受賞作品なしということからもいえるのですが、ここ数年、社会の現実に鋭く切り込んでいるのは芥川賞ではなく直木賞だという思いを強くしています。同時に、芥川賞・直木賞の垣根がしごく曖昧になってきていることに気付かされます。

松本清張の芥川賞受賞作「或る『小倉日記』伝」は、直木賞候補作品でした。『マークスの山』で直木賞を受賞した高村薫は、『晴子情歌』・『新リア王』・『太陽を曳く馬』の三部作で文学の地平に新たな一歩を刻印しました。古くは、『鞍馬天狗』や『赤穂浪士』を書いた大佛次郎が、名作『パリ燃ゆ』でパリ・コンミューンを壮大に描ききりました。ちなみに、今年はパリ・コンミューン130周年にあたります。

「純文学」といわゆるエンターテインメント作品という枠組み自体を、再考する時期に来ているような気がするのです。

2011年7月22日 会員M

天木直人さんの講演を聞いて

6月25日、グリーン九条の会第4回例会として天木直人さんの講演を聞きました。テーマは「さらば日米同盟」、ご本人が昨年出版された著書の題名と同じです。じつは依頼して承諾いただいたのが、今年2月、3・11大震災前でした。その後大震災が起こり、福島原発被災となり、今にいたっています。本州在住の天木さんも影響なしの立場ではなかったようです。講演内容も震災や原発事故も踏まえた言及となりました。


テーマも含め、今回の催し、どうなることやらとこちらもとまどいました。無事終わってその点でもほっとしている開催者側のひとりです。


当日お聞きした話は、臨場感にあふれたものでした。イラク戦争に対する日本政府小泉内閣の姿勢に対し、レバノン大使として直面することになった本人の発言です。悩み考え、自分の意見を小泉総理などへ具申した経過、判断基準を詳述されました。当事者としての生々しい証言を、私を含めた例会参加者は耳にしたのです。私には以下の点がとりわけ印象に残りました。


自衛隊のイラク派遣に対し、当時の外務省内部にも、賛成歓迎などの空気は一切感じられなかったとか。外務省でもまことに当惑した不安な問題だったということでしょう。しかし、面従腹背かどうかは

とにかく、外務省として小泉内閣の方針に同調し推進し、天木意見を取り上げる姿勢は見せませんでした。見殺しにし排除したのです。当時の同僚上司、今どう思っているのでしょう。


在職当時は、内部で声を上げ、外部に漏らすことなどは一切なかったそうです。それだけ職務の守秘義務にも忠実だった人でした。実質的解雇処分になった後、著作「さらば外務省」(「さらば日米同盟同じ講談社)で初めて自らの見解と小泉総理と外務省に対する批判を公にし、その本で私も天木直人という名前と主張を知ることになったのです。


「さらば日米同盟」、出版のきっかけは、「『さらば外務省』での主張・予測はあたった。今回の主張もそうなることを期待して。」との前著の編集者の言葉からだったそうです。しかし残念ながら、まだ「さらば外務省」には売れ行きははるかに及ばないとか。しかし、当日のサインセールでは20冊完売でした。これからを考えるためしっかり読んでみようという人たちがこれほどでたことは、講演内容が濃さとともに新鮮であることの証ではないでしょうか。


最後になりますが、日米同盟を考えるにあたって、憲法九条をそれを見る指針として直視することの肝要さが、天木さんが示唆したことでした。また、そのことが、原発事故を考えるうえでも通底しているとの指摘があったことも強い印象を私に残してくれました。


2011年7月4日 会員UE

天木氏「さらば日米同盟」を語る

グリーン九条の会第四回の講演会が6月25日60名の参加で開催されました。

講師の天木直人氏は元駐レバノン日本国特命大使で現在政治、外交、平和問題の分野で多くの提言や執筆活動をおこなっています。演題はご自身の著書のタイトルでもある「さらば日米同盟」。沖縄の基地問題の行き詰まり、ウィキリークスによる外交の裏側報道など日米関係のあり方が今一層注目される中、やや刺激的なタイトルでこれからの日本の進路、平和のあり方などを縦横に語ってもらいました。氏は現在の「日米同盟」は「日米安保条約」をも変質させた段階にあり、決して日本を守る同盟ではないこと。日本はこの対米従属から脱し、憲法九条に基づいた平和外交に徹するべしとの考えを外交官時代の経験なども交え説得力のある言葉で語られました。特にアラブ・イスラエル問題は氏の経歴―レバノン大使在任時小泉首相に米国のイラク攻撃を支持すべきでない旨の諫言したことにより外務省解雇処分を受ける―が物語る通り極めてわかりやすい明解なお話でした。今様々な意見のある中、国民一人ひとりが自分の頭で考え自身の意見をもち語り合うことの重要性も訴えられました。

氏はマイクをもって直立したままでノー原稿、文字通り日本の平和を切り拓く姿勢と気迫が伝わってくる1時間半でした。お話の後参加者からいくつかの質問が出され一つひとつ丁寧なお答えもいただきました。

天木氏の今後益々のご活躍を祈念するとともに お忙しい中わざわざご参加いただいた皆様に感謝申し上げます。

2011年7月2日 事務局

長谷川櫂 『震災歌集』が問いかけるもの

 本書は3月11日から始まった「混乱と不安の十二日間の記録」です。4月25日初版、5月10日再版が発行されています。著名な俳人である著者が、なぜ俳句ではなく短歌でこの震災を記録したのかは、「理由はまだよくわからない。『やむにやまれぬ思い』というしかない」と記されています。

「やむにやまれぬ思い」とは、「今回の未曾有の天災と原発事故という人災は日本という国のあり方の変革を迫るだろう」、「問題は政治と経済全体にある」こと、「日本人一人一人の意識と生活を問い直す」ことをしなければ、多くの人々の「無残な死を無駄にすることになる」という思いです。



2011年3月11日

津波とは波かとばかり思ひしがさにあらず横ざまにたけりくるふ瀑布)



かりそめに死者二万人などといふなかれ親あり子ありはらからあるを



みちのくの春の望月かなしけれ山河にあふるる家郷喪失者の群れ



原発を制御不能の東電の右往左往の醜態あはれ



日本に暗愚の宰相五人つづきその五人目が国を滅ぼす



「日本は変はる」「変へねばならぬ」といふ若者の声轟然と起これ



亡国の首都をさすらふ亡者否!はるかにつづく帰宅難民の列



みちみてる嘆きの声のその中に今生まれたる赤子の声きこゆ



みちのくはけなげなる国いくたびも打ちのめされて立ちあがりし国



チェルノブイリ原発事故から二ヶ月後に、東ドイツ(当時)の作家クリスタ・ヴォルフが小説『チェルノブイリ原発事故』を発表し話題を呼びました。この作品を読んだ高木仁三郎氏(原子力資料情報室長)は、「さらに大きな混乱の深淵へと追い込まれている自分を発見した」と記しています。各文芸誌にも震災関連の創作が登場するようになりましたが、明らかに短詩型がこの震災では先陣を切りました。その先駆けとしての役割を本書は果たしています。そこには、「言葉とは心より萌ゆる木の葉にて人の心を正しく伝ふ」という確信があるからでしょう。

2011年6月13日 会員M

今こそ「決意し」て、再出発の意志を固めよう!

「未来世代にのこすもの、私たちは何を『決意』したか」をテーマとして、今年も「九条の会:http://www.9-jo.jp/」講演会が東京・日比谷公会堂で2000名を越える参加者で開催されました。

哲学者の鶴見俊輔さん、作家の澤地久枝さん、憲法学者の奥平康弘さん、作家の大江健三郎さんの4名がそれぞれ30分程お話をされました。いずれも大変含蓄のある内容で、終了後に振り返ってみても胸に刻まれています。

澤地さんは、「地震列島の上で営む日本人の生活である。今、『運命共同体』の船に乗り合わせて、『世直し』、言い換えれば『革命!』、この国の姿を根本から変える方向へ舵を切るべく、原点とも言えるものが日本国憲法だと思う。戦争放棄の第九条と、生存権にかかわる第二十五条に力をもたせ、それを砦として世の中を変えてゆきたい。私たちが、原発からの放射能を制御する技術を持ち合わせていないことが明らかになった今、まず、全原発廃止の方向を目指す意思表示から。小田実は、『一人から始める』と書いたそう、しかし、『一人』ではない」、「『独立した個人の人格』こそが価値である」と、満場の聴衆に熱く語り掛けました。

4番目にお話をされた大江さんは、「井上ひさしさんが、この会ではいつもトリをつとめられて、ユーモアあふれるお話でした」と振り返り、やはり自分にはその役回りは荷が重いとも。「Articulate(アーティキュレイト):明瞭に話す」という言葉を引用して、はっきり物を言って抵抗する姿勢を大切にしたいと冒頭におっしゃっていました。

日本国憲法の前文に2回表現されている「決意した」に、特別の価値を見出したいと。加藤周一、小田実、井上ひさしが相次いで亡くなり、呼びかけた人の数は少なくなるけれど、7500を越える各地の「九条の会」は、それぞれの活動によって勢いを大きくしています。井上ひさしさんと同期の憲法学者・樋口陽一さんを紹介しながら、「立法事実:立法を必要とする情況」という言葉を引用し、戦争における「加害体験」としての憲法制定事実を思い起こすことの大切さも強調しました。1)とりわけ中国・朝鮮に対して、2)日本軍が国民に対して、3)軍幹部が兵士に対して、等の加害体験です。そして、今こそ「決意し」て、再出発の意志を固めよう!と結びました。

最後に事務局長の小森陽一さんが、「九条の会は今年の11月19日で7年を迎えます。ヒロシマ、ナガサキ、第五福竜丸、そしてフクシマへと続く、日本から世界への核廃絶の発信を、これからも一層強固に進めていきましょう」との呼びかけと御礼の言葉で、今年は終了しました。会場出口で、大江さん、澤地さん、小森さんにご挨拶も出来ました、3・11以降、また新たな出発です!

2011年6月7日 会員A

吉井英勝さんの提言、城南信用金庫さんの決断、そして5月15日NHK教育テレビETV特集

3月11日以来、東京電力福島第一原子力発電所の被災事故が起こり、なお収束していません。緊張の中、対策努力が続けられています。報道で進行状況ある程度把握していますが、祈るような気持で日々を過ごしています。想定内の最悪事故にならないように願って。

この間、4月にふたつのことが私の認識を改めさせ進めさせることとなりました。日本共産党国会議員の吉井英勝さん(京都大学工学部原子力工学科)の著書「原発抜き・地域再生の温暖化対策」(新日本出版社 2010年10月発行)を読んだことと、東京の城南信用金庫が出した声明「原発に頼らない安心できる社会へ」(ホームページに掲載されています)を読んだことです。いずれも私の知らなかったことですが、インターネットなどで話題となり、関心を持ち読む機会となりました。関連した新聞報道ありましたが私がインターネットで知ったよりもだいぶ遅いものでした。

吉井さんの本、たいへん臨場感がありました。原発事故に対して警鐘をならしているところはまるで震災後に出版されたような気にさえさせられました。吉井さんが(共産党としてもかもしれません)かねてから心配していたこと、実際に起こってしまいました。その声に日本政府や電力会社が対応していたら、もう少し被災は軽く済んだかもしれなかったのです。今からでも遅くありません。適切な提言は取り上げてもらわなくては。

吉井さんの著作は題からでは今回との結びつき私には考えにくく、とまどいながらの読み進みでした。「不出来でセンスのない」(こういう言い方をして申し訳ありません。吉井さん、出版社の方お許しください))題名ですが、たしかにそういう内容の本でした。総合的建設的な提言の本だからでした。しかも3月11日以降にもさらに新鮮さを増している内容と受け止めました。「環境、原発、再生可能エネルギー、防災」が以前からのテーマであり、それに「産業や地域経済」をどうするかということ、さらに「自治体財政と住民福祉の基盤」をどのように安定させるかということ、それらを結びついた課題として取り組んでいたことが本の中心テーマでした。単なる「反原発」ではない視野と奥行きの本と受け止めました。「さすが共産党」とか「どうして共産党が」とかはさておき、志ある政治家の誠実で率直な提言、心に重くしみました。

城南信用金庫さんの声明と姿勢、まっすぐに事態を受け止め分析し自らの課題を明らかにしている点で、まことにいきとどいたものです。企業の経営姿勢として、一歩先に踏み出した点でも、すばらしいものと思いました。

「東京電力福島第一原子力発電所の事故は、我が国の未来に重大な影響を与えています。今回の事故を通じて、原子力エネルギーは。私達に明るい未来を与えてくれるものではなく、一歩間違えば取り返しのつかない危険性を持っていること、さらに、残念ながらそれを管理する政府機関も企業体も、万全の体制をとってはいなかったことが明確になりつつあります。

こうした中で、私達は、原子力エネルギーに依存することはあまりにも危険性が大きすぎるということを学びました。私達が地域金融機関として、今できることはささやかではありますが、省電力、省エネルギー、そして代替エネルギーの開発利用に少しでも貢献することではないかと考えます。

そのため、今後、私達は以下のような省電力と省エネルギーのための様々な取組みに努めるとともに、金融を通じて地域の皆様の省電力、省エネルギーのための設備投資を積極的に支援、推進してまいります。(以下略)」

このふたつのことに続いて、最近もうひとつ5月15日午後9時からのNHK教育テレビETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図」が私には大きな衝撃でした。放射能の専門家である木村真三さん、岡野眞司さんが現地を走り回って測定を行いました。データを京都大学原子炉実験所や他大学の研究者が研究分析しました。ETV特集取材班取材によるそのことの報道です。

木村さんたちの決意と行動そして人のつながりが、事実調査の中から、大きな「成果」(?)をあげたのでした。政府や電力会社などがやるべきことを、やらねばと思った人たちがその手で実行したのです。事なかれ主義にたてつき、あえて火中の栗を拾うようなふるまい、勇気がなくてはできなかったことだったことを知らされました。

東京電力福島第一原子力発電所被災事故、吉井さん、城南信用金庫、汚染地図づくり、これらみっつのことは、私への大きな示唆となりました。それだけ大きな大きな問題だったのです。有権者である日本国民のひとりとして、私なりにも事態とむきあっていかなければならないようです。


2011年5月24日 会員UE